和室

「戦争と平和」を考える① 1980年前半 広島市

私は幼稚園から小学校低学年まで
広島市西区の観音本町に住んでいました。

当時(1980~1985)の広島市、
平和教育が今よりも盛んだったかもしれません。
戦争の伝承者は、当時、今の私の両親と同じくらい(60代前後)くらいかな。
原爆の恐ろしさ、戦争の悲惨さを後世に伝えていく責任も感じていたのでしょう。

学校だけではありません。
公民館、公園、町のあちこちで、平和教育が行われていました。

観音本町にある小さな公園でも、飴売り+紙芝居のおじさんが来て、
戦争について、年じゅう話をしていました。
幼稚園の講堂でも、絵本の読み聞かせが催され、
戦争の悲惨さを耳にしていました。
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幼少時代から、想像力が豊かだった、小さな和さん。
戦争の衝撃的な体験談や絵、そして、目の前の広島市の景色が、
ごっちゃまぜになっていました。

JALだかANAだか知らないけど、飛行機の音を聞くと、
「あの飛行機は、不意打ちで、原子爆弾を落とすかもしれない。
どこかに、逃げたほうがいいんじゃないか。」
と、広島市上空を飛ぶ飛行機の音に、いちいち怯えていました。

また、「地域に防空壕がないけど、作った方がいいんじゃないか。」
と考え、防空壕がつくれそうな広い空き地を探してみたり。
今、考えたら笑えちゃいますが、当時の私は真剣でした。

平和公園は、本当によく遊びに行っていました
でも広島にいた幼少期に、資料館に一度も入ったことがないです。
両親の判断は正しかったと思います。
だって、幼少期の私にとって、資料がどぎつすぎますから。

広島の平和資料館に足を運んだのは2回だけ。

一回目は、小学校の修学旅行
鳥取県米子市にいた6年生の時(1987年)
6年生の私にとっても、めまいをおこすくらい衝撃的でした。

はがれた皮膚、つぶつぶの斑点の肌、体から虫が出入りするという話。
真っ黒こげの被爆者、抜け落ちる髪の毛。

暗い館内で、私は親友と手を繋ぎ、たちすくんでしまいました。
資料館帰りのバスのなかは、
「鳥肌がとまらない」という友達や、
「私は霊を見た!」と興奮する友達がいたりして、異様な雰囲気だったことを
鮮明に思い出します。

戦争の悲惨さ、原爆の恐ろしさ、平和の大切さを考える前に、
「怖い!本気で怖すぎるよー。」と思考がストップ。
そんな、鳥取県米子市の6年生時代。

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二回目は、大学3年生の夏、1997年です。
平成6年(1996年)改修工事、ニューアル後でした。

6年生で出会った広島ほどのインパクトはなかったものの、
戦争と平和を考える上では、避けて通れない資料の数々を見たり、
戦争経験者・被爆者の生の声を聞く、貴重な経験となったのです。

二度目の広島平和記念資料館訪問、大学2年~3年(1997~98年)のころ、
私は、鹿児島大学で社会科教育を学んでいました。

社会科教育のゼミで、
戦争に対する歴史認識が、国によって違うということを知りました。
「従軍慰安婦」「南京大虐殺」「731部隊」など記述に関わる、
日本・中国・韓国の教科書問題が盛り上がっていた頃です。

周辺国(日本の被害を受けた国々)の歴史観に触れるため、
アジアの学生たちと交流したり、
中国・韓国・マレーシア・台湾など、アジアをとび回り、
日本軍が関わった戦争の爪痕が残っている資料館を巡りました。

さて今日(5月15日)は、パレスチナ難民にとって特別な日。
アラビア語で「ナクバ(大惨事)」といいます。
日本・中国・韓国・アジアとは遠く、耳慣れないかもしれませんね。

このナクバは、大惨事と訳され、
1948年のイスラエル建国でパレスチナ人が強制的に故郷を追われた日と
されています。

というわけで、
次回は、
パレスチナ難民局の学校で考える「戦争・平和」を
綴っていこうと思います。

過去の関連記事 広島、日本がかかわった戦争
「ヒロシマから明日の神話へ」2010年8月6日
http://kazitabonita.blog133.fc2.com/blog-date-201008-3.html

「祖父が残した問い」2010年8月15日
http://kazitabonita.blog133.fc2.com/blog-date-201008-1.html
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6 Comments

Comment

hiroshima

ぶち姉おつかれさまです☆ヒロシマについて、私もチビの頃から今でも考えると恐ろしさでしめつけられます。それでもヒロシマは世界の平和を祈ってます。私も祈ってます。どんな理由でも戦争に反対です。今日のナクバの行事で、イスラエルへの抗議を生徒に繰り返し言わせていて、心が痛かったです。
2012/05/16(Wed) 05:45:43 | URL | yayoi [ Edit]

沖縄

5月15日は日本にとっても記念日です。沖縄返還40年。1972年5月15日アメリカ占領下に置かれていた沖縄が日本に返還され、46都道府県が47都道府県になりました。沖縄から米軍基地が撤去されるという願いは40年たっても叶わず、日米安全保障条約、地位協定のもと爆音と犯罪をかかえた沖縄の人々。本土の負の部分を引き受けてくれている沖縄に未だ持って堂々と遊びに行けない婆ちゃんです。
2012/05/16(Wed) 10:19:45 | URL | 月の砂漠 [ Edit]

こんにちは。

私も幼稚園の時に「はだしのげん」の映画を見て
その晩ショックで熱を出しました。
その後も中学生くらいまで飛行機やヘリコプターの音が怖かったり
20歳くらいまでよく戦争の夢を見ましたよ。

幼心にとても衝撃的な事実でしたが、周りの友人以上に
戦争について一番関心が高かった気がします。

震災もそうですが、次の世代に語り継がなくてはいけないことが
私達にはたくさんありますね。
2012/05/18(Fri) 16:17:27 | URL | hisosari [ Edit]

和さんは、広島に住んでいたのですね。
自分も先日(初めて)資料館に行ったばかりです。大人が見てもかなり衝撃があります。子どもが見ればもっと大きな衝撃、恐怖のようなものを感じることでしょう。でも、伝えていかなくてはならないのも事実です。様々な資料館等に連れて行くことで、自分の子どもたちにも、戦争があったこと、その悲惨さを伝えて行かなくてはならないな、と思っています。
2013/03/27(Wed) 17:52:44 | URL | チームマルサン [ Edit]

こんばんは。

コメントありがとうございました。広島にもご縁があるんですね。

私も(70年代ですが)熱心な平和教育を受けて育ちました。通訳になってからは仕事で平和公園を案内することもしばしば。でも中国とかかわるようになって、状況が変わりました。今私を悩ませているのは、中国人の対応です。加害国の人間として、中国では盧溝橋博物館や南京大虐殺館にも行きましたが、広島に来る中国人にはどうしても平和公園を受け入れてもらうことが出来ないでいます。(私が被爆二世であることも、彼らの理屈では「当然の報い」という言われ方をされ...)答えを模索している最中です。

ところで、近年の広島は国連大学なども通じて、国際化した平和教育などもやっています。(中国韓国以外の国が対象ですけれども)
2013/07/14(Sun) 00:07:21 | URL | 三三 [ Edit]

共通点や思い

コメントありがとうございました。
ミミさんとは、なんだかいろいろと共通点や思いがあるので、
つい、またコメントを書いてしまいました。

語学だけではなく、日本近代史の学びも
大切にしていきたいものです。

2013/07/14(Sun) 01:15:47 | URL | 和 [ Edit]
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2012/05/16(Wed) 12:01:57 | 愉しい寄り道