和室

五木寛之さんの「親鸞」を読む

五木寛之さんが紡ぎ出す言葉から、
浄土真宗を開いた親鸞の姿
(講談社 2010年1月1日発行)
ここ数日、アンマンのマルジルハマームで
日本の今と重ねながら没頭して読んでいる。

今回は、五木さんの言葉を紹介。

文化も時代を動かすエネルギーも、権力の側からではなく、庶民大衆から生まれてくるものです。」
「明日がわからない」空気は現在と似ている。あらゆる価値が混乱して平衡状態を保っているから、
 われわれは右往左往せざるを得ない。
 --それが、人々の不安を倍加させるのです。」

「親鸞は生きている間に、人間がなんとか生を投げ出さずに生きていく道がないか、と模索した人です。
例えば国内で自殺者が毎年3万人を超えるというのは現在のわれわれにとって大きな問題です。

病気や貧困など、いろいろ原因が挙げられているけれど、
病を患いながらがんばっている人もいるし、経済危機の中で堪え忍んでいる中小企業もある。
そうすると、それらはトリガー(引き金)ではあっても本当の原因ではない。
年金制度の問題や地震への恐れなど、
漠然とした不安が日本を覆っています。

やはり、生きづらい、希望がない、ということなのだと思います。」
 



下は、文藝春秋増刊 3.11から一年 作家100人の言葉 2012年3月号より

二転三転する報道に対して、裏切られたとか、メディアが信用できなくなったとか、いろいろ言う人もいます。しかし、国というのはそういうものなのです。
国は決して、国民の立場を考えて物事に対処するわけではないんですね。

そもそも「民」という字の語源は、
「目を針でついて盲目にした奴隷」という意味です。
つまり、支配下におかれる人々
ということです。
戦後の日本は民主主義の国というが、私はそもそも「民」という字が好きではありません。

そして、「民は知らしむべからず」というのは古代から国家統治の原点です。
そう考えれば、たとえば原子力災害対策本部の議事録を作成していなかったことなどが問題になっていますが、そんなものを国民に見せるわけがない。

国は力をもって、国民を保護する。その代わりに国民は国に税金を払う。
これが素朴な国家と国民の関係です。

私はけっして、この関係が悪いと言っているわけではありません。
この国と民の関係を冷静に認めることが必要なのです。


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五木寛之さんの言葉
アウシュビッツ収容所から
「生きること」を考える
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