和室

横浜ミナトミライとアンマン・アブドゥーン 地域間格差

繧ケ繝ゥ繧、繝・_convert_20121027123826「憧れの横浜。やっぱり違うねぇ!」

鹿児島から神奈川へ
初めて横浜ミナトミライへ足を運んだ時、
こう思ったものです。

キラキラした都会の景色とお洒落な人たちにウットリしていました。

繧ケ繝ゥ繧、繝・_convert_20121027124008
とつぜんですが、
「ドヤ街」って聴いたことありますか?
「ドヤ」とは「宿(ヤド)」にした言葉。
ドヤ街は、日雇労働者の就労場所と合わせて寄せ場とも呼ばれています。

関内駅・石川町駅は、中華街やミナトミライの最寄駅。
中華街とは反対方向に進んでいくと、ガラッと雰囲気が変わります。

オシャレで綺麗な横浜、関内・石川町駅付近は
多様な人々が暮らし、働き、行き交う町。
そして日本の近代史に翻弄された町でもあるようです。

かつては、横浜港の労働者たちが住んでた場所、寿町。
今は「ドヤ街」のひとつ。
ここにいる8割が生活保護費を受給しているといいます。
高齢独身男性のお年寄りが多いそうです。
繧ケ繝ゥ繧、繝・_convert_20121027124027

HP:横浜ご近所探検隊が行くより
「横浜は、1945年に太平洋戦争に負けた日本が、
占領軍を最初に受け入れさせられた都市。
連合軍として進駐してきた米軍基地として接収され、
日本占領政策の中枢となった。

1950年から始まった朝鮮戦争では兵站基地となった。
このことは横浜が戦災と接収という二重苦によって、
日本の他の戦災都市と比べて戦後復興が10年は遅れるという大きなハンディを背負った。

一方、戦争直後、占領軍による人員雇用や物資調達の需要で、
地域経済を潤したことも事実である。
横浜港では戦後の占領下の諸物資輸入や朝鮮戦争時代の兵站のために、
数多くの荷役労務者を必要とした。
1956年にここに職業安定所ができて、計画的に寄せ場としたようである。」

Abdoun_Bridge_(8)_convert_20121027124225.jpgアンマンにも横浜ぐらいの階層差があります。

キラキラした4サークルのアブドゥーン大橋を超えると、
高級住宅街の一角。

私の勤務していた学区から車で数分。

でも、ここの地区にあるショッピングモールもスポーツ施設も、
きっと私の学区の子供たちにとっては、夢の世界でしょう。
生徒たちにとっては、一生にいけるかどうかわからないくらい
お高い場所なのです。

繧ケ繝ゥ繧、繝・_convert_20121027123941

また、私の学区よりも、もっともっと貧困地区も
アンマンにあります。
近所のスーパーどころか、
家に車がない、タクシーも乗れない、移動手段がない。
最近は、アンマン市内の物価も上がっていて、
さらに生活が困窮しています。

イラク難民友人が案内してくれた家は、
ヨルダンの隅に追いやられていました。
病を患っても、仕事がなくても、学校に行けなくても
将来がなにもなくても、
ただただ、アンマンで
今を生き延びるしかないという家庭です。
現実を目の当たりにして、胸が詰まってしまいました。

繧ケ繝ゥ繧、繝・_convert_20121027123955
さて、神奈川で勤務していた11年の間に
数回足を運んできた横浜寿町。
この町は、少しずつ姿を変えてきたようです。

生活支援や医療、介護等の福祉関係の活動団体が入ったり、
簡易宿泊所の空き室をホテル(ホステル)
として運営するNGOが誕生したり。

横浜もアンマンも、
多様な人が生きる地域の良さを残し、活かし
誰かを排除しての町ではなく、
懐の深い住みやすい町であるといいな。

アンマンに2年間滞在して、
地域間格差が大きくなっているように感じていましたが、
お金持ちの子も難民キャンプ地域で生まれた子も
近年、イラクやシリアから逃れてくる子も
アンマンに生きるという点では平等なのだから。
繧ケ繝ゥ繧、繝・_convert_20121027123923

神奈川の横浜、ミナトミライと寿町
アンマンのアブドゥーン高級住宅街と貧困地域
そこに横たわっている地域格差を考えてみました。
にほんブログ村 海外生活ブログ 中東情報へ
にほんブログ村









関連
IMA十勝新聞社 リポーター:坂の多い町 アンマン
http://www.ima-earth.com/contents/entry.php?id=20121017122710
未分類

0 TrackBacks
1 Comments