和室

ヨルダンに生きる人たち

これまで、たくさんの立場の人たちに出会い、
時間を共有してきました。

学校で一緒に過ごすパレスチナ人の生徒や同僚たち、イラク難民の友達、
東南アジア、近隣諸国からの労働者、ヨルダンの上流階級の人たち

一人ひとり持っている背景が違い、どういう理由でヨルダンにいるのか、
なぜそのような考えを持っているのか、・・という、深いところまでは
私の関心、興味の対象であって、
相手にとっては触れられたくない過去でしょう。

イラク難民についても同様です。
命を削って生きている過去を持ちながらも、
ヨルダンという国は一見、安定していて、パッと見、わかりません。

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私の立場は、美術隊員。
ジャーナリストでもなく、研究家でもなく、国際協力のプロでもない。

できることは、同僚たちと一緒に楽しい時間を過ごし、
目の前の生徒たちの情操教育に関わることだけ。

だから、生徒たちの家庭訪問やイラク難民の家庭に行かせてもらっても、
貧困や困難や、彼らの負っている過去を追求する気持ちにはなれず、
充分な知識を持ち合わせていないため、宗教や政治、問題について
質問したこともありません。

それでも、何らかの事情でヨルダンに生きる人たちが、
心を開いて、自分の生い立ちや過去、ヨルダンから見た世界の情勢を
話してくれることがあります。

美術や演劇、詩の朗読、音楽などの表現活動を通し、
ここに生きる人たちが負っている困難、未来への希望などを
感じたり、共感したりすることもあります。

また、ヨルダンに生きる人たちが私を通し、
日本に興味を持ち、日本の今を考え、思いを馳せてくれています。

パーソナル(個人的)な思いを受け入れる。共感する。
そういった出会いの小さなパーツを、集めていくことで、
ジェネラル(一般的)になる。
個を追求すれば、公に通じる。

ヨルダンに生きる人たちが、私を温かく受け入れてくれているように、
私のヨルダンを、私の言葉で伝えることで、
日本の大切な人たちも、中東の一部であるヨルダンを知り、
受け入れてくれるだろうと考えています。

ここにいる一瞬一瞬が貴重な経験です。
これまでの自分を立ち止まる、今の日本や世界を眺め、
考えるという視点をもらっている毎日に、いつも感謝しています。

030_convert_20110721041057.jpgマダバのお祭り
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難民・紛争

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