和室

アウシュヴィッツ強制収容所から 「生きること」を考える

去年の今頃、
パレスチナ問題を考えるにあたって、避けて通れない場所を訪れました。
第二次世界大戦中、ナチスによるユダヤ人大虐殺が行われた地
アウシュビッツ収容所です。
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「あの極限状態の中で命が残った人のこと―
風景というものに対して、非常に感受性の強い人がいる。
強制労働の中で、水たまりに写った冬の枯れ枝の風景を眺めて、
「あ、レンブラントの絵のようだ。」なんてことを考える人。
こういう感じ方をする人が、
非人間的な生活の中で、むしろ強く生き延びることができた。

このエピソードは
人間が健康とか体力だけで、厳しい条件に耐えられるものではないことを
表現している」
-五木寛之さんの「大河の一滴」から

私の家族は、日常の風景に美しさを見出し、感じることを大切にしてきました。
外に出かけ、公園の草花を観察したり、空に浮かぶ雲を眺めたり・・・。
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「保育園のある子がね、羽アリの行列を見て
『アリの花嫁だ!今日はアリさんの結婚式!』
って言ったのよ。ロマンチックでしょう。」
と、食卓で話をする母
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孫が来ると、「家の中より、外の景色のほうが勉強になるからな」
といって、孫を家の外に連れ出し、
大きな道路を行きかう車を眺めたり、近くの公園の風景を孫と楽しむ父。



悲惨な自然災害、また歴史上残る極限状態の時代、
国際的に活躍するとか、社会的に認められた職業についているとか、
資産家で経済的に余裕があるとか・・
それらは、「生きる」という意味においては、小さいことかもしれません。

もっともっと 近くに。深い所に 人間の美しさがあり、その積み重ねが、
命の営みを になっているのです。

そして、それらが「生きる」ことにつながっていくのだと思います。
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